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平井 基之(ひらい もとゆき) 受験戦略家

<メッセージ> 武田信玄・安田善次郎・人生に役立つ勉強法

<コメント>

同じ授業を受けていても成績が上がる子と上がらない子がいます。つまり先生や授業よりも子供が授業を生かせるかどうかが大切です。しかし、良い授業の受け方を教える先生はいません。 計算ミスをするな、と指導する先生はいても、計算ミスの減らし方を教えられる先生はいません。 このように学校では教えてくれないのに、大事なことはたくさんあります。 私は、この部分を徹底して教える仕事を続けています。

勉強とは本来、人生に生きる事を学ぶことです。大人になって忘れてしまう勉強をするよりも、人生でずっと生かせる学びが出来る勉強法を身に着ければ人生が変わります。

<経歴> ・東京大学 理科一類 入学 ・東京大学 教育学部 卒業 ・(株)早稲田アカデミーにて、東大必勝講座担当 ・富士学苑高校 教員 ・東京大学 文科三類 合格

<主な活動> 高校生の時から、現在の学校教育の問題点を感じ、自分のメソッドを確立するため、現役で東京大学の理科一類に入学。塾講師と高校の教員を4年ずつ経験し、プロの家庭教師で独立。受験業界の常識を変えるには受験を最も極めなければならないと思い、東大文三合格を一年で果たして、東大を文理両方合格を達成した。既存の方法に捕らわれない自由な指導法を展開し、新たな教育の道を作り続けている。

<講演テーマ>

歴史に学ぶリーダーシップ講座 『武田信玄』

戦国時代最強と呼ばれた武田信玄についえ60分で話します。壮絶な人生と、いくつかの戦を紹介して、『勝ち』とは何かの哲学を深めます。勝ち方にこだわった常勝軍団は、いかにして戦に勝っていたのか。歴史を紐解き現代に通じる勝ち方を学びましょう。

歴史に学ぶリーダーシップ講座 『安田善次郎』

安田財閥の創始者である安田善次郎は日本史上最高の資産家と言えます。しかし生活が非常に質素であったため、世間からはケチ、守銭奴とバッシングされていました。但しこれは安田の表の顔に過ぎません。裏にひそむ隠れた安田流の哲学をご紹介!

東大文理合格した私の勉強法

文理両方で東京大学に合格した私の勉強法を全てご紹介!良い勉強法、悪い勉強法とは?成績の上がる仕掛けの作り方、一切勉強しなくても成績が上がる方法など、知らなかった勉強法に触れると、あなたもすぐに勉強したくなる事でしょう。

<講演料> 応相談

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川口 整 (かわぐちただし) コンサルティング・シオン事務所代表 人間らしい強靭力教育講師

<メッセージ>

おかげさまで、ここまで人材育成の教育講師の仕事をつづけることができたと思います。

技術系からサービス業へ転職。カルチャーショックで3年ほど落ち込みました。でも、20年間職人からたたかれ育てられた人間関係、生産技術開発のプロジェクトマネジメント「束ね」のスキルが役に立っていたのです。

今回の講演企画は、45年間の歩みを取りまとめました。「つづける」はキーワードです。それは、「レジリエンス力」と気づきました。暗礁に乗り上げても挫けず、粘り強く生き続けるパワーこそレジリエンス力の持ち味・本領発揮です。そこに、新しいニーズにチャレンジし、来訪者が楽しむ話題をお伝えします。

<コメント>

私事、人間らしい強靭力の講演に際して、18歳、大海原に羽ばたく船員の夢破れ、海が駄目なら山がある! と、安易に人生の想いを切り替える浅ましさ。

25歳、プラント現場で人身落下事故を目撃し全身の肌に粟を生じ逃げ惑う精神的な弱さ。

42歳、経営コンサルタントへ転職するもバブル崩壊が直撃。後、事務所の独立は無謀といわれ借金地獄に底突く。

生得的に、猪突猛進の性格は家族崩壊のクライシス。天然の楽天家は「ふうけもん(愚か者)」と、常に胸中で冒険心が騒ぐ。

今、川口方式の講演会は、生き抜いた45年間を取りまとめ、他山の石と恥をさらす覚悟。職場で、家庭で、生活にやっと、元気さ、一意専心に家族を死守、苦難に出くわしても這いあがった体験談。自尊感情を育み生き抜く喜び(レジリエンス力)を熱くお伝えします。

 

<経歴> 1972年 日本文理大学(旧大分工業大学)工学部機械学科卒業 1972年 株式会社横浜機械工業入社 生産設備開発 プラント建設の現場監督 1991年 株式会社ビジネスコンサルタント入社 組織変革コンサルテーション 1999年 コンサルティング・シオン事務所設立 代表 人材育成に伴う教育支援の講師へ 2000年 (株)日本能率協会マネジメントセンター パートナー講師 2004年 筑波大学大学院経営学科、文京学院大学大学院経営学研究科の科目履修生を修了 2013年 (一社)日本絵手紙協会公認講師。絵手紙メソッドを人材育成へ打ち出す 「絵手紙コミュニケーション・ワーク&育てるレジリエンス力の講座」を開発。 2015年 (一社)レジリエンス協会(JRRC)会員。企業・個人レジリエンス教育講師

・生産設備開発技術管理者・工場建設現場監督〝束ね〟20年 ・企業組織の意識改革&業務効率化のコンサルテーション8年 ・企業人材育成の教育講師・延べ企業変革運動の支援実績25年300社 ・人材育成・レジリエンス力(人間らしい強靭力)・絵手紙コミュニケーション等教育講師 ・レジリエンス協会員 ・産業・組織心理学会員 ・日本産業カウンセリング学会員 ・以来、仕事サクセスと人材教育の講演研修を盛んに活動する。多くの関係企業へ感謝 2016年 教育講師の体験経験を、川口方式に取りまとめ、レジリエンス講演の活動へ

 

<主な活動>

25年間、変革運動キックオフ・組織強靭力講演・人材育成講演・企業内研修等で表題「人間らしい強靭力」に該当する導入講義を取りまとめた企業。

・日本たばこ産業(JT) ・旭化成 ・ボッシュ(旧ゼクセル) ・東芝総合人材開発 ・ジェイエイ北九州くみあい飼料 ・JA東日本くみあい飼料 ・JA共済 ・ホクレン ・全農熊本県本部(旧名:熊本経済連) JAグループの会社 ・飯田産業 ・東京ガス ・近畿コカ・コーラボトリング ・神戸製鋼 ・萩原工業 ・富士通 ・富士通マーケティング ・JR九州 ・JR東日本 ・JR北海道 ・名古屋鉄道 ・九州電力 ・九電工 ・九州電気保安協会 ・東京電力 ・北海道電力 ・相馬電力 ・福岡県 ・佐賀県 ・栃木県 ・新潟県 ・名古屋商工会議所 ・JFE ・小野精機  ・台湾半導体販売 ・住友ナコ ・アデカ ・コサカ精工 ・富士ゼロックス ・東京ルネッサンス ・FDC ・タカタ ・東京不動産 ・日本ポリウレタン ・日本サードシステム ・アベイズム ・日信ソフトエンジニアリング……他中小企業。

延べ、組織変革コンサルテーション&人材育成研修等プロジェクトに関わった1社3年以上の支援・実績企業は300社を超える。

 

<主な著書>

『医療現場の安全管理とリスクマネジメント』共著 同友館

『実践マネジメント看護師長の仕事』共著 ぱる出版

『招来! ビジネスライフを豊かに~B-絵手紙があなたのコミュニケーションをうまくさせる』川口整著 青松書院

 

<講演テーマ>

1.家庭崩壊寸前をとどめ元気が戻る、育てるレジリエンス方式はこれだ!

川口方式「中年の惑い」這いあがり持ち味・本領を発揮する喜びの90分。

今日一日を楽しみたいと思いませんか。職場でも、家庭でも、生活にはクライシス(中年期の危機・危険)が必ず迫る。でも大丈夫、安心してください。生き抜くあなたの持ち味・本領を発揮する喜びの育てるレジリエンス力(人間らしい強靭力・折れない心)を、川口方式に取りまとめお伝えします。 ・家庭崩壊寸前のクライシスとは、被爆2世、鉄工所で難聴に、B型肝炎キャリア認定、腰痛、意識不明で何度か救急車で運ばれる、転職は派閥のいじめに遭う、無謀な独立で借金地獄、子が通う公立高校の授業料も払えず、また、学校をやめると泣く、妻とは三下り半を言われるのが恐くて話ができず、毎日橋の下で昼寝の生活などなどの生活状況に陥ったら、自殺を深く思いますか、それとも何とか生き抜くことを真剣に考えますか? ・答えは、生き抜く力をどう生み出すか真剣に考えることです。当然です。 ・じゃどうやって、怒り・ネガティブ・悲観などの感情を抑えるのですか? ・そこは、ポジティブ思考へ切り換えられる方式を知る、わかる、できるかです。 ・川口方式は、現状を爆笑し、腹をくくる、疑う心を捨て、考える型を伝えます。

2.仕事に疲れた心を癒す交じらいへ、育てるレジリエンス方式はこれだ!

川口方式「中年の惑い」這いあがり持ち味・本領を発揮する喜びの90分。

今日一日を楽しみたいと思いませんか。職場でも、家庭でも、生活にはクライシス(中年期の危機・危険)が必ず迫る。でも大丈夫、安心してください。生き抜くあなたの持ち味・本領を発揮する喜びの育てるレジリエンス力(人間らしい強靭力・折れない心)を、川口方式に取りまとめお伝えします。 ・仕事に疲れた心のクライシスとは?懸命に、失敗は許されない、規則や役割を守ること? ・成果主義は反対だと叫ぶも、上司へは心の叫びが響かず。いや言えず黙してやるが楽と。 ・おでこが広くなった、褒められ喜んだ記憶も透けて来た、叱る・怒る気力も薄れた。 ・一日中、憂鬱で、気持ちが沈んでいる、以前と同じ楽しみが楽しめなくなった。 ・川口方式は、実のなる木を描くのに「ヘタでいい絵手紙」を実践する。 ・えー、そんなヘタでいい(嘲笑)、絵心ないよ!そう思うことこそ心の疲弊の要因です。 ・ヘタでいい絵手紙とは、意を伝えるのに、自分が手本、ぶっつけ本番、充実感・達成感などの一期一会体験談から自分らしさを取り戻し、心の垢を落とす。 ・絵心いらず、認め合い、支え合う「感謝絵手紙の体験講座」の実例を伝えます。

 

<参考URL> コンサルティング・シオン事務所

 

<講演料> 応相談

えもとたけのり

江本 孟紀 (えもと たけのり) プロ野球解説者

<メッセージ> 挫折、出会い、プロ野球や参議院議員を経験して感じたことや裏話など、 ご希望に応じた内容のお話しをさせていただきます。

<経歴> 1947(昭和22)年7月22日 高知県生まれ 1963年 4月 高知商業高校 入学 1966年 4月 法政大学 経営学部 入学 1970年 4月 熊谷組 入社(社会人野球) 1971年 2月 東映フライヤーズにドラフト外で入団 1971年12月 南海ホークスへ移籍、16勝をマーク ※1973年 日本シリーズ出場(南海VS巨人) 1976年12月 阪神タイガースへ江夏投手とのトレードで移籍 1981年 8月 阪神タイガース退団 ☆プロ通算成績(投手)113勝126敗19セーブ、開幕投手6回、オールスター出場4回(5回選出) 1992年 7月 参議院議員初当選 1994年    日本プロ野球ОBクラブを立ち上げ事務局長に就任 1998年 4月 文部科学省より公益法人としての認可を取りつけ、 プロ野球ОBクラブは社団法人全国野球振興会へ 1998年 7月 参議院議員再選 2001年 1月 参議院 初代 内閣委員長(~9月) ※その他、文教科学委員会 理事、環境委員会、外交防衛委員会、 災害対策特別委員会 理事、国会等の移転に関する特別委員会 理事 等を歴任 ※野球振興議員連盟 事務局長、スポーツ議員連盟 役員、校庭緑化(芝生化)議員連盟、 憲法調査推進議員連盟 他 2004年 1月 大阪府知事選挙出馬後、参議院議員を離職 2004年11月 アメリカ独立リーグ初の日本人チーム「サムライベアーズ」立ち上げに協力 2005年11月 クラブチーム「京都ファイアーバーズ」を立ち上げ、監督に就任 ~2006年8月 2006年 3月 クラブチーム選抜メンバー「Clubチャレンジニッポン!」を結成しアメリカ遠征 2007年 4月 タイ国ナショナルベースボールチーム 総監督に就任し北京五輪アジア予選に出場 2010年 7月 参議院議員選挙 比例区で出馬 2010年 4月 法政大学 スポーツ健康学部「スポーツと政治」「スポーツ政策論」講師~2014年3月

<主な活動> ○ プロ野球解説者 ・フジテレビ   『すぽると!』※毎週土曜日レギュラー、『プロ野球中継』 ・ニッポン放送  『ショウアップナイター』 ・サンケイスポーツ『エモやんの舌好調』『週刊エモト(関東版)』    etc ○ そ の 他 ・高知県観光特使            ・阪神タイガースOB会 役員 ・日本カジノディラーズ協会 会長

<主な著書> 「プロ野球を10倍楽しく見る方法」   KKベストセラーズ ※約500万部売り上げベストセラー 「マンガ日本政治入門」         あおば出版 「職業としてのプロ野球解説者」     サンガ新書 「プロ野球経営が破綻するこれだけの理由」産経新聞出版 「野村克也 解体新書」          無双舎 「『アホ』がプロ野球を滅ぼす」      KKロングセラーズ 「星野仙一にみる名将の条件」      双葉新書         計68冊

<講演テーマ>

☆ プロ野球おもてうら ☆ プロ野球を10倍楽しく見る方法 ☆ プロ野球よもやま話 ☆ プロ野球ウォッチング ☆ 女性に捧げるプロ野球 ☆ エモやんのいきいき野球放談 ☆ 江本孟紀の熱き語らい ☆ 野球雑談 ☆ 挑  戦 ☆ スポーツを通じて得た経験 ☆ 参議院議員12年を経験して・・・

など

<参考URL> EMOYAN.COM(江本孟紀HP) 江本孟紀 エモやんの”いごっそう”日記

<講演料> 応相談

えのさわごう

江野澤 剛 (えのさわ ごう) 放浪の哲学者、旅人、冒険家、サーファー、登山家

<メッセージ> マナーの本質でもある謙虚で前向きな心、すべてに感謝する心、自然や周囲の人と調和しようと する心の大切さを、日本中を旅した経験や海や山などの自然やスポーツなどを通じて、また マナーアドバイザーとしてお伝えしていきたいと思います。みなさまの理想的な美しく心豊かな 人生の実現を心より応援いたします。

<経歴> 1999年 サーフィンを始める。 2008年 日本中を旅する事を決意。 サーフィンや社会科見学、神社仏閣、世界遺産めぐり等をしながら北は北海道のオホーツク海側から、 本州、大平洋側、日本海側、四国、九州と経て、南は沖縄の東シナ海側と日本中を旅する。のちに サーフィンインストラクターになる。この頃にサーフィンや旅、仕事や日常の中での様々な経験から マナーの大切さや自然の大切さに気づき、マナーについて本格的に勉強を始めると共に海でビーチ クリーンなどのボランティア活動等を開始する。 仲間と6人パーティーで富士登山をする。(この富士登山が人生初めての本格的な登山となる)全員登山未経験者、 悪天候の中、四合目からの日帰り登山。(同日、2名の方が遭難し亡くなられる)登頂はしたものの若さと 勢いにまかせた無理で無知な登山をすると必ずしっぺ返しがある事を身をもって知る。 その後、何を思ったか単独登山を開始する。※単独登山はしないで下さい。北アルプスを中心に 中央アルプス、南アルプス、丹沢、箱根とすべて単独で登山をし、単独行を繰り返す。 2012年 南アルプス北岳登山を最後に長かった旅に一応の区切りをつける。のちに山岳ガイドになる。

・保有資格 マナーアドバイザー 宅地建物取引主任者 キックボクシングプロライセンス サーフィン海上安全指導員 日本サーフィン連盟公認指導員、公認ジャッジ

<主な活動> 三浦半島や南房総でガイド山行を行うなど、現在、海や山などの自然やスポーツ、マナーなどを ベースに様々な活動を行うと共に、ジャンルを問わず積極的に活動中。ニックネームは「波乗り スナフキン、サーファースナフキン」

<講演テーマ>

自然 旅 スポーツ マナー 人生

・マナーの根源 本質 心の姿勢について ・美しい立居振る舞い、言葉や動作での演出や表現方法から様々な場面、場合における対応方法等 コミュニケーション ・様々な場所、場面におけるルール&マナー 海 山 スポーツ 生活 ビジネス 社会 etc… ・日本の自然の美しさ 素晴らしさ 大切さ 旅のススメ ・Alleinganger 北アルプスに憧れて 冒険と人生 ・サーファー流 パーリングやワイプアウトしてもくじけない前向き元気、やる気のつくり方 メンタル ・波も人生もたった一度、どう生きるか 時間は有限 様々なライフスタイル ・人生で大切な事は自然やスポーツ、旅を通じて教わった ビジネスとの共通点等etc… 講演テーマ、内容につきましてはクライアント様の要望に応じ、変更、調整しております。

<講演料> 応相談

まつだようこ 松田 陽子 (まつだ ようこ) 株式会社OnePlanet・代表取締役

<メッセージ> 「この世に無駄な生命は一つもなく、それぞれが必ず使命を持って生きていけるはず。」 との信念のもと、自らの経験を通して、生きていることの素晴らしさを実感していただける 講演をさせていただいております。

<コメント> 子宮頸がん・うつ病・脳腫瘍を克服し、シンガーソングライターとして活躍中。 国連UNHCR協会 広報委員として、難民支援に尽力。チャリティーイベント等の 活動を通して、人と人との「つながり」の大切さや価値のない命は一つとしてな いことを、自分の経験を通して伝えていく講演は多くの共感と感動を呼んでいる。

<経歴> 1996年 渡米 ニューヨーク・ブロードウェイにて、シンガーとしてレギュラー出演 2002年 子宮頸がん発覚 手術後、再発の不安などから重度のうつ病に 2004年 うつ病を克服しシンガーソングライターとしての活動を再開 2007年 ボランティアグループself代表 2013年 国連UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)協会 広報委員

<主な活動> シンガーソングライター 国連UNHCR協会 広報委員 一般社団法人Stand for mothers 理事 京都光華女子大学 客員教授 ボランティアグループ self 代表

<主な著書> 生きてるだけで価値がある(サンマーク出版)

<講演テーマ>

生きるを伝える ~宿命を使命にかえて~

子宮頸がん・うつ病・脳腫瘍など、さまざまな「宿命」を背負って生き、 あるきっかけからそれが「使命」だったと気づく。病魔との戦いや目標を失わずに 人生を歩んできた体験を通じ“生きる”ということの素晴らしさ、尊さを伝える。

母は太陽 ~子育てに悩むお母さんへ~

自らの幼少体験、児童養護施設の子供たちとの触れ合いの中で感じた母の 偉大さを語る。また、子育てに悩むママたちへ母として心からのメッセージを伝える。

ひとつしかない故郷(ふるさと)に希望の光を

海外経験で感じた世界の厳しい現実と、国連UNHCR協会 広報委員として 現在活動している難民支援の運動を通し、世界中に存在する難民と呼ばれる 人々の現状と我々日本人が今できることを伝える。

<参考URL> 松田陽子公式ホームページ

<講演料> 応相談

こばしけんた

小橋 健太 (こばし けんた)

株式会社FortuneKK

 

<メッセージ>

妻であり演歌歌手・みずき舞と二人での講演も可能。 癌におかされた夫と、それを支える妻とのエピソード等。 家族、パートナーの大切さも語ります。

<コメント> 1988年のプロレスデビュー後、すぐにスター街道を駆け上がり、数々のタイトルを獲得。 「絶対王者」と呼ばれるまでになった。しかし、2006年に腎臓癌が発覚。長期欠場を余儀なくされるも、 不屈の魂で治療・リハビリを行うと、翌2007年に日本武道館のリングに復帰。546日ぶりの姿にファンは 熱狂・感動の渦に包まれた。奇跡の復活を果たした後も活躍を続けたが、2013年5月に現役を引退。 ”人間・小橋建太”となった今、癌や様々な怪我を乗り越えた体験を背景に、夢やチャレンジ、諦めない大切さに ついて語ることを決意した。 講演会では、“夢の実現”、”命の大切さ”などをテーマに、小橋らしい熱い想いと まっすぐなメッセージを届けている。

<経歴> 1987年 プロレスラーになる為に京セラを退社し、全日本プロレスに入門 1995年 世界最強タッグリーグ戦3連覇(タッグパートナー・三沢光晴) 1996年 三冠ヘビー級王者(対田上明) 2000年 プロレスリング・ノア移籍 2003年 GHCヘビー級王座獲得(対三沢光晴)以降、2年間王座を保持、13度の防衛に成功

<主な活動> プロレスラーとして一世を風靡するも、癌や数々のケガに悩まされ、2013年5月に惜しまれつつ引退。 2006年6月に腎臓癌が発覚。2007年10月に戦線復帰するも、2008年9月に右腕遅発性尺骨神経麻痺、 両肘関節遊離体に見舞われ再び長期欠場を余儀なくされる。2010年1月には肘部管症候群により三度の 欠場をするなど、リングの外でも病気やケガとの壮絶な戦いを繰り広げてきた。そんな厳しい環境、練習から 身につけた様々な壁を乗り越えるノウハウに加え、癌を経験したことで命の大切さについても訴え、 講演、セミナー、トークショーを開催。

<主な著書> 『小橋健太[青春自伝]熱き握り拳』(ぶんか社) 『自伝小橋建太―悔いは、ない』(ベースボール・マガジン社)

<講演テーマ>

不屈の魂で夢を叶える

両膝、両肘、頚椎の手術、更には腎臓癌を患い、プロレスラーとして長期欠場生活を強いられる。 再起をも懸念された状況だったが、小橋の描いた「復活」という夢が、この大きな試練を乗り越える力と なった。再度リングに立つまでの546日間をどう過ごしたのか?努力と苦悩のエピソードと共に、 夢を持つ重要性を熱く語る。

常にチャレンジ~夢を叶える為の第一歩~

高校卒業後、一度は一般企業に就職したものの、夢を諦めきれずに一念発起し、全日本プロレスに入門。 しかし、返ってきた答えは”不合格”。一度は入門を断られたにもかかわらず、「絶対王者」、「鉄人」 と呼ばれるまでになった小橋が、不屈のチャレンジ精神を語る。

腎臓癌からの奇跡の復活~この一瞬を大切に生きる~

2006年6月、腎臓癌を患ってから546日。スポーツ選手としては復帰前例のない中、 再びリングに帰ってきた鉄人・小橋建太。 試行錯誤の闘病生活を支えた妻、そしてファンの声援。再発の可能性が残る10年間に 復帰と引退を経験、そして今を生きる人間・小橋建太の生き様を熱く語る。

<参考URL> FortuneKK

<講演料> 応相談

よねはしきよはる

米橋 清治 (よねはし きよはる) フリーライター 行政書士事務所職員

<メッセージ> 2歳のときに両親が離婚。6歳で岡山市内の児童養護施設に入所を余儀なくされ、 18歳の大学合格まで過ごす。大学卒業後、司法試験に手を染めていたときに 生活のためにアルバイトを始めた塾にそのまま就職。後に塾を自ら興すも閉鎖廃業。 そんな折、30年ぶりに実父と連絡が取れ、再会したのもつかの間、父は生れ故郷を遠く 離れた地で自ら命を絶った。自らの手で、「押し付けられた環境」を、時にはやんわり、 時には巧妙に、そして時には徹底的に拒否し、社会的に生きるか死ぬかの闘いを繰り広げ、 その中で自ら立つべきものを作り上げてきた、37年間の私の人生。 その総決算へむけて、私は今日も闘いを続けています。 私はその闘いの中で得たものを総括し、社会に還元すべく、今、立ち上がりました。私の人 生から得た、現代を生き抜くための知恵と勇気を、広く皆さんに伝えていきます!

<経歴> 1975年 備前市伊里幼稚園中退・児童養護施設に入所 1987年 大学入学資格検定(現高等学校卒業程度認定試験)合格 1988年 岡山大学法学部入学、1993年卒業       岡山市内の学習塾講師、経営者を経て、現在に至る。        主な専門は大学受験小論文、国語、英語。

<主な活動> 岡山大学鉄道研究会OB、鉄道研究者 高校中退通信(編集長・田中敦氏)元編集委員 2006年9月の出版を機に講演活動を開始 自分史製作サポーター

<主な著書> とむらいの汽車旅2万キロ(2006年9月・吉備人出版刊) <講演テーマ>

■もうひとつの家庭~児童養護施設の生活の日常生活とその課題

普通の「家」で育つことのできない子供たちが暮らすもうひとつの家庭・児童養護施設。 岡山市内のある施設で6歳から18歳の大学合格時まで生活した経験をもとに、施設の生活 とその問題点を語り、「個人とは何か」「家庭とは何か」を改めてみなさんとともに検証してい きたい。 私のいた施設は、確かに先進的なところで、当時の職員諸氏にはいろいろとお世話になり、 大いに感謝するところである。しかし現実には、子供たちを出汁にして虐待や偽善行為、さら には私腹肥やしに走る施設やその職員、その周辺に巣食う者もまた多い。そこで育った者たちが、 どう社会と向き合うようになっていったか、私に限らずさまざまな事例をもとに、 児童福祉の周辺から現代社会の問題点を語りたい。

■父の自殺を通して~鉄道趣味を通して自分自身を総括して

5歳のときにいなくなり、35歳になるまで会えなかった。再会したのもつかの間、父は千葉県の 木更津で自殺してしまった。事業を崩壊させ、一家離散を招いた父ではあるが、それでも私は 自らの信念を持って父を弔った。父を弔うことは、自分自身の人生を総括し、新たな出発の礎を 築くことであった。そんな時頼りになったのは、幼少時からの鉄道趣味であった。 その過程と心境を伝えたい。 私は鉄道趣味によって、人生を切り開いてきた。小学生で、大学の鉄道研究会からスカウトを受け、 それを元手に自らの趣味活動を充実させただけでなく、さまざまなものを得てきた。 鉄道趣味が私に与えてくれたものは、単なる慰めではなかった。生きる力などといった 生ぬるいものではなく、闘って自らの存在を勝ち取るための「最終兵器」と言ってもいいほどのもので あったし、今でもそうである。

■個人化の時代~組織ではなく、一人一人を見るべき時代の到来

近年、かつてなく組織や集団と称するものへの依存度が低くなってきた。大学などの弱小 サークルは相次いで消滅し、学習塾と家庭教師の垣根はほとんどなくなった。フリーターや ニートの増加もまた、この流れの中にある。しかし一方で、従来結びつき得なかった人間同 士の結びつく例も増えてきた。私はこの状況を「個人化」と定義している。「個人化」社会の成 立した背景と現状を分析し、この時代を生き抜く有効な手立てをともに模索していきたい。

<参考URL> ふみづくり職人 フリーランスライター・米橋清治

<講演料> 150,000円~ 要相談 (別途:交通費・宿泊費)

よしだまりこ

吉田 万里子 (よしだ まりこ) 女子プロレスラー ・ 女子プロレス「息吹」プロデューサー

<メッセージ> 私の色々な経験が皆さんのお役に立ち、皆さんと一緒に明るくアグレッシブな 日々を過ごせることが出来たら嬉しいです。

<コメント> 女子プロレス界という特殊な世界で特殊な経験をたくさんしました。

プロレスと同じように皆さんにパワーやエネルギーを与えられたらと思います。

<経歴>

1988年のデビュー後、1992年には頚椎損傷し、長期休場を強いられる。医師に引退を勧め られるも、約2年もの間、再びリングに立つために地道な努力を続け、無事に復帰を果たす。

現在は現役プロレスラーとして活躍するとともに、自主興行「息吹」のプロデューサーとして 若手が切磋琢磨し活躍できる場を創っている。 低迷する女子プロレスにおいて次世代を担う若手を育成する指導者として、所属レスラーの マネージャーとして、興行の主催者として、自身も一選手として活躍する吉田選手の評判は 高い。

<団体歴> 1988年        全日本女子プロレス デビュー 1997年~2003年    アルシオン 2003年        AtoZ 2003年~       フリー 2005年~       エスオベーション

<タイトル> 初代クイーン・オブ・アルシオン ツインスター・オブ・アルシオン CMLL世界女子 全日本シングル 全日本タッグ APW CHICK FIGHT CHAMPION

<主な活動> 数々の試合に出場すると共に、女子プロレス大会「息吹」の主催者として活躍している。

<講演テーマ>

■イメージすることで夢は叶う~引退の危機からの復活~

女子プロレスラーを目指したきっかけ、入門してからの辛い特訓や上下関係の厳しさ、 さらには引退の危機とまでなる怪我を経験し、復帰を目指し約2年もの間、努力を続けて 得た経験。その願いが叶った原動力とは何か。

■格闘技の聖地「後楽園」までの道のり

高校を卒業してすぐに女子プロレスへの道へ進み、身体を鍛えることとプロレスのことしか 考えてこなかった中、若手を育成するための自主興行「息吹」を旗揚げ。2周年記念には 格闘技の聖地と呼ばれる「後楽園」での開催が実現。その道のりにあった困難と喜び。

■教えながら学ぶこと~これからの夢・目標~

指導者として、マネージャーとして、イベントのプロデューサーとして若手選手と接して いく中で感じることや、自身が学んだことは何か。そして、今後の更なる目標とは。

<参考URL> 吉田万里子『蜘蛛絡み雑記帳』 吉田万里子プロデュースプロレス「息吹」

<講演料> 応相談

よしざわともゆき

吉澤 知之 (よしざわ ともゆき) クリスタルエアー代表

<メッセージ> 行動して後悔するより、行動しないで後悔する方が耐えがたい。 「行動する勇気を持つことが最も尊いこと」 を伝えたいと思います。

<経歴> 1988年、アメリカ・アリゾナ州にて初フライト。 FAAプライベートとコマーシャルライセンス取得。 帰国後、国内自家用運航・フライトスクール常勤グランドインストラクター職を経て、 1999年再渡米。FAAフライトインストラクターライセンス取得と同時に、 アメリカでフライトインストラクター職に従事。現在に至る。

<講演テーマ>

■空に向かって。(夢を掴むために)

ヘリコプターパイロットの経験、ライセンス取得のインストラクターを通して、 経験から学んだことを分かりやすく伝えます。 技術、知識を教える一方で、ヘリコプターの操縦士として、 一個の人間としての人格形成も行っている指導の方法も。 ・夢に向かう勇気と目標 ・状況分析の勇気 ・引き返す勇気 ・私の指導方法 ・信頼関係 ・目標を明確に

<講演料> 応相談

やざきゆみこ

矢崎 由美子 (やざき ゆみこ) 阪神大震災の語り部、骨髄バンクボランティア

<メッセージ> 骨髄バンクボランティアや阪神大震災の被災体験を通し“命の重みと人のやさしさ” “ボランティア” “子供達の可能性や高齢者の勇気”などをテーマに熱く人間味が あふれる関西弁で何処にでも居る一人の母親の立場で語ります。 いつも聴衆に大きな感動を感じて貰えます。

<経歴> 1972年~ 東京を拠点にラジオパーソナリティー・MC・TVタレントとして活動。 フジTV子供番組「みんな集まれキーパッパー」メイン司会 文化放送「ダイナミックサタデー」NET「独占女の60分」 「ガンバレロボコン」白雪劇場「雪国」フジTV「青い山脈」他 1980年~ 神戸を拠点にサンTV・ラジオ関西で活動。 1985年~ 結婚、出産 渡米 1992年~ 骨髄バンクボランティアとして紙芝居などを利用してシンポジウムなどで ボランティア活動を始める。 1995年~ 芦屋市にて阪神淡路大震災に被災し、その体験がモデルとなり(岸川悦子著) 童話「地球が動いた日」になる。後アニメ映画化され全国で上映。 2年後、当時小学生5年生と3年生の息子達が被災地支援の為、自転車で日本 一周を達成。翌年童話「走るんや」(岸川悦子著)。その後、震災体験や子どもたち の日本一周への経緯や命の重みを軸に様々なテーマで全国各地で講演活動を 行っております。 2000年~ 芦屋市で中 ・高齢者を対象にマンツーマンのパソコン教室を開設。

<主な活動> 1998年より 全国の社会福祉協議会や教育委員会 PTA連合 学校関連の福祉大会や 家庭教育講演・ボランティアフェスティバル・保護者会等年間10~15件

<主な著書> (モデルになった童話) 新日本出版 岸川悦子著「地球が動いた日」 新日本出版 岸川悦子著「走るんや!」

<講演テーマ>

■命って重い、そして子どもってすごい 骨髄移植と阪神大震災。 二つを結ぶ童話と子ども達の日本一周

童話「金色のくじら」(作・岸川悦子)を紙芝居と言う手段で、私が骨髄バンクボランティア 活動をするに至るまでの経緯と、今は亡き協力者の患者女性の思いやその活躍をお話します。 そしてその後に起こった阪神大震災の被災体験から私たち家族がモデルとなって生まれた 童話「地球が動いた日」「走るんや!」骨髄移植と阪神大震災を結ぶ事になった2冊の童話に 至る多くの辛い被災体験と震災から二年後の’97夏 当時10歳と8歳の二人の息子が自力で 考え行動を起こした、被災者救済の為の自転車日本一周という壮大な夢物語の実現まで。 体験の中から知った命の重さと人の優しさを母親の目線でお話します。

■「ボランティア」に、する人・受ける人の配役はありません

1992年友人の子ども(当時12歳)の白血病発病をきっかけに始めた、私なりの骨髄バンク ボランティア活動としての紙芝居。そしてそれを支えてくれた今は亡き患者女性との約束。 95年1月 あの阪神大震災での被災体験。この大きな二つの経験で、ボランティアをする側と 受ける側、両方を体験することになった私が、それぞれの立場で気づいた多くの事柄をお話 する事で、個々の持つ「ボランティア」と言う言葉の定義や考え方を振り返り、聞いて頂ける 多くの皆様の生きがいや明るい未来に繋げて頂く力になればと考えています。 話の中で沢山の被災者の姿もお話します。辛く重い話の中にも 明るく元気をもらえる様な 被災者の姿もあります。 世代や人種を超えた 人と人との思いやりや繋がりこそがボランティアの基本では・・・

■阪神大震災で子どもが教えてくれた沢山のこと ~子どもの可能性についていこう!

阪神大震災と言う未曾有の大災害の体験の中から、子どもたちが自分で考え行動できたこと。 そして子どもたちの純粋な姿から、大人が学んだ多くのこと。 二人の息子がモデルとなった童話「地球が動いた日」「走るんや!」(作・岸川悦子)。 この2冊の童話に至るまでの話を中心に 未曾有の災害から立ち上がり乗り越えて行く子ども の姿や成長を伝えます。阪神大震災で当時8歳と6歳の二人の息子たちが、多くの辛い 被災体験の中から自分たちで物事を考え、大人をも驚かせる程のパワーを発揮し、行動した 被災者救済の為の自転車での日本一周。被災からその成功までの道のりと親子での葛藤や、 地域や周りの協力など・・・避難所生活での数多くのエピソードや当時の人々の生活を話し ます。そしてその後も続く子どもたちの成長で親が、周りの大人がどう変わって行ったか、等

■阪神大震災から以後 私が見た思いやりの心と福祉の町づくり

高齢者や障害のある方、幼い子供や妊婦さんなど、色々なハンディを抱えた方々にとって 住み慣れたまちで、活き活きと暮らすことができる社会の実現に向けて、今、全国で「福祉 まちづくり」を考える動きが出ている様ですね。 阪神大震災で被災した私の当時の経験を振り返ると、被災者一人一人の立場や個々の 状況の違いの中であの頃考え出したあらゆる生活術。今思えばそれが自然の中で生まれた 思いやりの心と福祉を考えながらの街づくりになっていたと思います。 その後、私自身高齢の母の介護をする事になり、勉強したヘルパー2級講習を受けた 数ヶ月間で体験し感じた事や多くの失敗談など、気楽に聞いて頂く中で皆様方の福祉と 街づくりを身近なものに感じて頂く機会になればと思っております。

■実際に被災してわかったこと

阪神大震災で被災し避難所生活や仮設住宅ボランティアなどの経験から学んだ多くのこと。 この日本国内において、今後いつ誰の身の上にも起こりえるかも知れない。突然の地震災害 を乗り切る為に、被災者が知った数々の知恵と体験談をお話します。あなたの今後の備えに してください。何の前触れも無く襲って来たあの阪神大震災。 当たり前の日常が機能しなくなった町で私たち親子が取った行動とは・・・ 避難所内での多くの問題や解決方法。被災する前までは報道で知るだけの他人の災害。 被災地内と被災地外での物の見方の誤りや考え方の違い。 考えもつかなったった高齢者の知恵で救われた高度成長人間たち。 親が思う程子どもは馬鹿じゃ無かったこと。子どもたちがすごいってこと! 一主婦被災者の目線で震災を伝えます。

<参考URL> 阪神大震災を忘れないで!

<講演料> 応相談